海老名&岩手八幡平!つながるWAN:大治朋子さんのおたよりから(2)

★ 2015年7月24日 国会南庭前リレートークにて 大治 朋子

今晩は!私は3歳の誕生日の10日前、1945年8月2日に富山の空襲に遭いました。
“どうしてみんな、「七輪」や「かまど」に入っていくのだろうか?”空襲の下を叔父に負ぶわれて逃げながら思いました。3歳の私には「火」は七輪・かまどでした。
母の“かわいげにぃ…っ!” という悲鳴にお堀を見ると、防空頭巾をかぶった、頭一つ違うきょうだいが手をつないでお堀の水の底に仰向けに沈んでいました。
20数年この光景を毎晩のように夢で見続けました。

戦争の実態を知らない首相の空論に騙されないぞ!
周辺の国の脅威を強調して世界へ出かけ、戦争出来る国にしようとしている。
真の平和は「世界の戦争の火種を消すこと」です。
全く逆のことをする「アベ政治を許さない!!」
云い忘れましたが、富山の空襲は2737人の死者、家屋消失率99.5%、地方都市で最大の被害だったのです。

もう一つアベ政治は、福島の子ども達を守らない!
福島だけでなく日本のこどもたちと、日本の未来をになう子どもを守れ!
「アベ政治を許さない!!」

大治さん

★ 富山へ!

8月2日は富山の大空襲の日。3歳のお誕生日の10日前に遭遇した私は、70年後生まれた地であり大空襲に遭った地を訪ねました。
「平吹町31番地はどの辺りでしょうか?」と日陰にいた蕎麦屋のおじさんに聴くと、「今は何丁目に代わっているがこのあたりからその辺だと思うよ、空襲の日に来たのかね。私は高岡にいて富山の空が焼夷弾で真っ赤になっているのを見ていた。女房がここに住んでいて空襲に遭っていて大変だった話はよく聞いている。いま中国の脅威とか色々言われているけど、平和憲法を守っていくのが一番いいんではないかと思うね。まあ、お茶でも飲んでいきなさい」と店に案内されて冷たい麦茶を御馳走になりました。

あの日、3歳のお誕生日10日前の私はその火の中を父の弟に負ぶわれて逃げました。どうしてみんな、七輪やかまどの火の中に入っていくのだろうか?と思いながら…。母の“かわいげにっ!”と云う悲鳴にお堀を見ると、防空頭巾を被った頭一つくらい違うきょうだいが手をつないでお堀の水の底に仰向けに沈んでいました。
(昔は何処も水が澄んでいました)。あれから70年後の旅でした。
玄関前にいらした老婦人に声をかけ「今日は空襲の日なので訪ねてきました」というと、「懐かしい!空襲の話をする人も少なくなって…。同じ時代を生きてきた人と話が出来て今日は嬉しかった」と。猛暑と我が家の老愛犬ミリミを負ぶっての旅でしたので短い滞在でしたが、母が9か月の妹のおむつを替えていたお城の石垣にも
お堀にも逢ってきました。(富山は市電が走っているのですね)
3日は、金沢のお寺での養父の17回忌。夫と子どもと孫達10人はホテル泊。老愛犬ミリミ連れの私は友達の家に御世話に。猛暑の炎天下、ミリミの体調を気にしながらの旅はとても疲れたのでした。

★ 八幡平山荘の福島の子ども・高齢者の保養プロジェクトが活動を始めました。

7月末には、80歳の御夫妻が3泊4日で利用なさり、とても喜ばれました。全村避難の飯館村から、今は福島の住宅に避難。飯館村全村集団裁判も起こしている方。

彼:「温泉のおかげで夜中、一度も起きることなくぐっすり眠れ、休養できました。どうして見ず知らずの者に、このような親切をしてくださるのか?」

私:「福島の痛み苦しみは私たちも同じです。みんな心では思っているが表す方法が判らないのです。

私の場合は、この山荘があり利用していただくことで少しでも皆さんの安らぎになれば…という手段があるだけです。」

彼:「応援していただく方がいるということが、私達の励みになります。ありがとうございます。」

8月14日から16日までは、子ども5人の一家7人が利用。3月まで山形に避難していたご家族です。

「イヤー、あんな広いリビングは見たことがない。ゆっくり家族で楽しみました。温泉も!」と。
手作り村、焼け走り、小岩井牧場等を愉しんだようです。

9月の5連休日、10月もふた家族が利用予定、いずれも小さいお子さんのある方々の希望です。

 

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