海老名&岩手八幡平!つながるWAN:大治朋子さんのおたよりから(5)

おおはる19月23日は代々木公園に出掛けました。
とても良い気候で、ピクニック気分でした。
ミリミも、活躍!・・・行きかう人に癒しを発信!
2015年9月25日 大治 朋子

おおはる2

海老名&岩手八幡平!つながるWAN:大治朋子さんのおたよりから(4)

 

大治1

9月14日!国会前集会に、行ってきました。
今日の集会も、みんなの声の出し方が違いました。

帰り、霞が関の地下鉄駅で、高校生くらいの、おとなしそうな青年が3人、
「あのう・・・国会前はどっちですか?」
道を教えて、私たちが持っていた「強行採決反対!」のプラカードと、ペンライトを渡し、「お願いね!」とバトンタッチしました。
彼らは可愛い笑顔で「ハイッ!」と云ってくれました。
とても爽やかな、嬉しい気持ちで帰途につきました。

大治2

 

海老名&岩手八幡平!つながるWAN:大治朋子さんのおたよりから(3)

大治1大治2

 

 

 

 

 

 

 

今年は何処も猛暑でした。
8月2日、70年前の大空襲の富山市、私の生まれた地へ、70年ぶりに訪れました。その後、私は養父の17回忌法要に金沢へ行きましたが、いずれも35度以上の日々で、往生いたしました。
若い娘や孫達は、猛暑の中をお寺が集中している寺町にある忍者寺や 兼六公園、石川門をはじめ復元が進んでいる金沢城。加賀の金箔・水あめの俵屋、九谷焼のお店などを精力的に見て回っていました。
忍者寺は就学前児NG。健康保険手帳を見せて確認という厳重ぶりだそうです。 6才の孫娘は今『忍び』に興味があるらしく残念がっており、「来年は行く!」と決意表明していました。
私が高校生の頃、学校の近くだったので友人と3人でお小遣いから百円の「お布施」を包みお寺を訪ね、ご住職さん直々の案内をしていただきました。その頃は「忍者寺」とは言っておらず貧乏なお寺(失礼!)でした。
今は予約なしでは見学できず、それを知らない外国の旅人は、ガッカリして帰っていく…。大学生の孫娘は英語で、私の長女はフランス語で国際交流をしたと。そのフランス人夫婦が、長女夫婦のフランス菓子東京の八雲店を訪ねてきて、深い交流になったらしい。

その長女は幼稚園の頃から「夢は、ケーキ屋さん!」
高校の進路親面談で担任の先生が:「お母さん、お宅のお子さんは高校になってもケーキ屋さんと云うのは幼稚じゃないですか?普通幼稚園で卒業ですよ!」。私:「ほかの生徒さんはどんな職業を?」と聞くと弁護士か医者という。私:「先生、クラスの半分が医者や弁護士になれるわけないじゃないですか。その方がよほど幼稚じゃないですか?」と反論。栄養士の資格を取りケーキ修行をし、
フランス菓子にはフランス語が必要とフランスに語学留学する為の卒業証明書を貰いに行った時、その先生は、「あなたが一番しっかりしていたわ。お母さんに失礼なこと言ってしまって…」と。そんなことを思い出しました。
■先日ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング氏の講演を聴きました。ヨハン・ガルトゥング氏は「戦争のない状態を消極的平和」としたのに対して1969年の論文で「貧困や差別といった構造的な暴力のない状態を積極的平和主義」と定義。現政権の「軍拡・武器使用」とは相いれないものなのです。■

海老名&岩手八幡平!つながるWAN:大治朋子さんのおたよりから(2)

★ 2015年7月24日 国会南庭前リレートークにて 大治 朋子

今晩は!私は3歳の誕生日の10日前、1945年8月2日に富山の空襲に遭いました。
“どうしてみんな、「七輪」や「かまど」に入っていくのだろうか?”空襲の下を叔父に負ぶわれて逃げながら思いました。3歳の私には「火」は七輪・かまどでした。
母の“かわいげにぃ…っ!” という悲鳴にお堀を見ると、防空頭巾をかぶった、頭一つ違うきょうだいが手をつないでお堀の水の底に仰向けに沈んでいました。
20数年この光景を毎晩のように夢で見続けました。

戦争の実態を知らない首相の空論に騙されないぞ!
周辺の国の脅威を強調して世界へ出かけ、戦争出来る国にしようとしている。
真の平和は「世界の戦争の火種を消すこと」です。
全く逆のことをする「アベ政治を許さない!!」
云い忘れましたが、富山の空襲は2737人の死者、家屋消失率99.5%、地方都市で最大の被害だったのです。

もう一つアベ政治は、福島の子ども達を守らない!
福島だけでなく日本のこどもたちと、日本の未来をになう子どもを守れ!
「アベ政治を許さない!!」

大治さん

★ 富山へ!

8月2日は富山の大空襲の日。3歳のお誕生日の10日前に遭遇した私は、70年後生まれた地であり大空襲に遭った地を訪ねました。
「平吹町31番地はどの辺りでしょうか?」と日陰にいた蕎麦屋のおじさんに聴くと、「今は何丁目に代わっているがこのあたりからその辺だと思うよ、空襲の日に来たのかね。私は高岡にいて富山の空が焼夷弾で真っ赤になっているのを見ていた。女房がここに住んでいて空襲に遭っていて大変だった話はよく聞いている。いま中国の脅威とか色々言われているけど、平和憲法を守っていくのが一番いいんではないかと思うね。まあ、お茶でも飲んでいきなさい」と店に案内されて冷たい麦茶を御馳走になりました。

あの日、3歳のお誕生日10日前の私はその火の中を父の弟に負ぶわれて逃げました。どうしてみんな、七輪やかまどの火の中に入っていくのだろうか?と思いながら…。母の“かわいげにっ!”と云う悲鳴にお堀を見ると、防空頭巾を被った頭一つくらい違うきょうだいが手をつないでお堀の水の底に仰向けに沈んでいました。
(昔は何処も水が澄んでいました)。あれから70年後の旅でした。
玄関前にいらした老婦人に声をかけ「今日は空襲の日なので訪ねてきました」というと、「懐かしい!空襲の話をする人も少なくなって…。同じ時代を生きてきた人と話が出来て今日は嬉しかった」と。猛暑と我が家の老愛犬ミリミを負ぶっての旅でしたので短い滞在でしたが、母が9か月の妹のおむつを替えていたお城の石垣にも
お堀にも逢ってきました。(富山は市電が走っているのですね)
3日は、金沢のお寺での養父の17回忌。夫と子どもと孫達10人はホテル泊。老愛犬ミリミ連れの私は友達の家に御世話に。猛暑の炎天下、ミリミの体調を気にしながらの旅はとても疲れたのでした。

★ 八幡平山荘の福島の子ども・高齢者の保養プロジェクトが活動を始めました。

7月末には、80歳の御夫妻が3泊4日で利用なさり、とても喜ばれました。全村避難の飯館村から、今は福島の住宅に避難。飯館村全村集団裁判も起こしている方。

彼:「温泉のおかげで夜中、一度も起きることなくぐっすり眠れ、休養できました。どうして見ず知らずの者に、このような親切をしてくださるのか?」

私:「福島の痛み苦しみは私たちも同じです。みんな心では思っているが表す方法が判らないのです。

私の場合は、この山荘があり利用していただくことで少しでも皆さんの安らぎになれば…という手段があるだけです。」

彼:「応援していただく方がいるということが、私達の励みになります。ありがとうございます。」

8月14日から16日までは、子ども5人の一家7人が利用。3月まで山形に避難していたご家族です。

「イヤー、あんな広いリビングは見たことがない。ゆっくり家族で楽しみました。温泉も!」と。
手作り村、焼け走り、小岩井牧場等を愉しんだようです。

9月の5連休日、10月もふた家族が利用予定、いずれも小さいお子さんのある方々の希望です。